久しぶりに長岡に向かっている。前回は加速器学会前だったので、7月だった。回数は減ってきたが年6回程度、訪れている。
初めて長岡に行ったのは、確か、今から41年前の1978年の夏だっただろうか。二十歳の私だった。ほとんどの学友が就職する中、まだ、働くのは早いなと考え、函館高専から一年前に開学したばかりの長岡技大に進学しようと考え、入学試験を受けに初めて長岡に行った。正直、どこの大学でもよかった。豊橋技大よりも長岡の方が函館に近いという理由だけで長岡にした。大学に行って何をしようかとかも考えていなかった。ただ、まだ働くのは早いと思った。そして、全国を旅したかった。
初めて訪れた長岡駅はまだ新幹線もなかったので小さな駅だった。大学もできたばかりで工事現場のようなところだった。
まだ、パソコンも普及前でもちろん携帯電話もない。タイプライターで論文を書いた。
大学3年に編入し、学部の2年間と修士課程での2年間の合計4年間。具体的な目的もなくやってきたこの町だったが、この4年間はこれまでの人生の中でやはり私の人生に大きな意義と影響のあった期間だった。クラブ活動、学内・学外との交友活動、コンパ、飲み会、そして研究活動。学会、国際会議もここで経験した。日本全国を一人で旅もした。あっという間の4年間だったが、中身の濃い4年間だった。
そして、これまで聞いたこともないパルスパワーとの出会い。核融合への関心。自分の生涯の仕事はこれだと思った。このために私は生まれてきたのだと。
社会人になってからも、パルスパワーの魅力にひかれ、もう40年間に渡ってパルスパワーの研究開発を続けてきた。パルスパワー技術研究所を設立し、母校の長岡技大で指導も行っている。あと何年続けられるかわからないが、日本にパルスパワーの技術を残し、世界の人々の生活を豊かにすることに少しでも貢献していければと願うばかりだ。
(facebookより転載)